部の状況
昭和50年代後半から、アマスポーツの感覚も大きく変わって来た時代である。部員達の気質も少しずつ変化して、自家用車の利用者が多くなって来た。馬術部も常勝日本大学として学生馬術界に君臨する事が当たり前の時代となり、馬術部の施設のすばらしさに驚くこともなく、部員達の心から感動が薄れ、王座を守るのに苦労する時代となった。時代の変遷と共に作業も動力を導入し、少しでも無駄を省き、エネルギーをトレーニングに向けるという、スポーツトレーニングの方法なども変化して来た時代である。平成5年には遂に団体優勝200勝を達成した。オリンピック出場選手も5名を数える日本一の部にまで発展したのである。
活躍された選手
岩谷一裕、田嶋弘幸、柴田浩征、安藤浩之、杉本隆雄、今井千香子、石田英治、伊藤史人、吉岡明裕、浅沼菜穂美、杉本修子、兪在泓、白井亨、吉永健司、中野正幸、塚田由佳、岡部久仁子、小菅慶子、桑原千砂、小島協子、加藤有大、上妻和道、細野茂之、山内恒樹、吉田駿、群明子、柴田一直、大塚哲郎、宮野将徳、宮下誓夫、吉橋昌理世、賀村研、石井秀紀、荒川博、篠原真一、望月秀紀、鈴木高和、水町友香、小島亜矢、斎藤卓哉
【馬匹】
メジロサンゴ号、アイスターキング号、チェス号、桜慶V号、メジロフィアット号などを筆頭に20数頭。
特記事項
(1) 宮崎栄喜、岩谷一裕、渡辺弘、ソウルオリンピック代表となった。
(2) バルセロナオリンピック大会代表に下記役員、選手が参加し、日本馬術史上初の団体7位入賞を果たす。
総監督/後藤博志
コーチ/冨士川満男
選手/宮崎栄喜、後藤浩二朗、岩谷一裕
(3) 創部以来、遂に200勝を突破、後藤監督の偉大な功績を称える。
(4) 後藤監督、現役監督を通算して200勝を達成。
部長・監督
部長/佐久間勇次(昭和58年~平成6年 )
監督/後藤博志(昭和40年~平成15年 )
コーチ/冨士川満男【ヘッドコーチ】(昭和58年~平成8年)、植田元(昭和47年~平成13年)、中村公子(昭和59年~昭和61年)、後藤浩二朗(昭和59年~平成5年)、諸岡慶(昭和53年~平成8年)